1996~1998年のこと。(成田編)

creepsの30周年を振り返る連載の2回目は1996〜1998年のこと。
竹内氏は22歳〜24歳、成田は15歳〜17歳(中学3年〜高校2年)の3年間ってことになる。
もちろんまだメンバーの誰にも出会ってもいないし、creepsのその歴史が始まった頃の僕は思春期で多感な難しい時期だったかな。
竹内氏の連載と同時期のことを並行して綴っていく予定なので、もちろんcreepsについてはまだ語ることが無く、極めて成田の個人的な内容になってしまうと思うので、それでも良い方だけ、読み進めてもらえたらと思います。

絵に描いたような思春期

中学3年生〜高校2年生か。。
顔を覆いたくなるような恥ずかしい思い出もたくさんあるし、今考えると笑えるくらい未熟な少年だったけど、その頃の人生の中心だったサッカーや本格的にのめり込んだ音楽、そして高校1年の時には初めてのガールフレンドが出来たり、徐々に世の中と自分の距離感を掴み始めるような時期だったのかもな。

サッカーのこと、そして人生初の挫折

サッカーに関しては高校2年生までは本気でプロを目指してた。
市内の普通の中学・高校だったから県大会に出場するのなんてなかなか難しかったんだけど、それでも練習が休みの日でも友達とも遊ばずに自主的に走り込んだり、誰もいない学校のグラウンドでフリーキックの練習をしたり、ひたむきだったな。筋肉だってつき始めて、今じゃ信じられないくらいバッキバキの身体だった。
チームは常に弱小だったけど、町の選抜チームなんかにはいつも選ばれてたし、このまま絶対プロになれるって信じてたもんな。(青いな〜)
でもその時の努力って間違いなく今に活きている。
中学から高校に上がる時に、「ウチのサッカー部に来ないか」って声をかけてくれた高校(進学校)の監督がいて、舞い上がった自分は勉強を頑張ってそこに進学した。
2年生になった時にその監督の転勤が決まり、なんだかとっても裏切られたような気持ちになり、衝動的に部活を辞めた。(青いな〜) それだけ大好きな監督で先生だった。
しかし後に20代になって知ることになるんだけど、監督が声をかけてくれたのは父親が僕を進学校に進ませるために仕組んだことだと知り、とても傷ついた。
退部後も自主的にトレーニングを続け、社会人チームの練習などに参加させてもらい、1年後の3年生時には当時北海道No.1だった大学のセレクションを受けようと申し込むが、県でベスト4になったチームの選手でなければ参加資格すら無いと断られることになる。
そこで完全に糸が切れた。完全にサッカーを諦めた瞬間だったな。
それが人生で初めての挫折・喪失だったのかもしれない。
今思うと、本気でやる気があったのなら、他にも道はたくさんあったはず。

本格的に音楽にのめり込み、転機となった1999年へ

そんなスポーツに夢中の時期も楽器演奏はずっと続けていて、バンドなんかはまだ組まなかったけど、ベースは自然と上達してた気がする。当時流行ってた音楽のスコア(楽譜)を買ってきて、コピーする程度だったけど。

サッカーに身が入らなくなった後は髪を染めたり学校に行かなくなったり、悪友とつるむようになったり、この辺は1999年になるのかな。
竹内氏の今回のブログの締めの言葉が
「そして、激動の1999年を迎えることとなります。」
だったけど、成田にとっても激動の1999年になっていくんだな〜。笑
いよいよ竹内氏と成田も出会うのか、1999年。

ということで次回に続くよ。