creeps『GIRLFRIEND, NEW WAVE, WEEKEND.』誕生までの12年を辿る

creeps『GIRLFRIEND, NEW WAVE, WEEKEND.』

 2026年夏。たとえば、多感な10代がバイラルメディアやサブスクの偶然を装った導きによって、当時20歳のベン・ワットが1983年に『North Marine Drive』で描いた透明なメランコリック・ポップに出会った場面を想像してみる。冬の海へ一人きりで向かうような澄み切った哀しみは、43年の時を超えデジタルネイチャー世代のティーンにも季節とは真逆の冷気を伝えることだろう。しかし、「ネオ・アコースティック」と呼ばれた音楽の核にはポスト・パンク時代の精神性が息づいていることや、一見すると『North Marine Drive』と相反するパンク・ロックの反骨と騒々しささえ実はこの世界観と地続きである背景が、彼ら/彼女らに知ってもらえるチャンスは残念ながら低いと言わざるを得ない。同様の問題は音楽のみならず現代のあらゆるアーカイブ文化に共通することで、いずれにせよこれはコンテクストの問題であり、2026年夏、コンテクストはかつてない受難の時代を迎えているのだ。

 黎明期のデジタル技術で煌びやかにデコレートされたメインストリームのポップ・ミュージックと、主にUKで草の根から生まれた手作りのインディー・ポップ、それぞれが同時に隆盛を極めていた1980年代特有の空気をたっぷりと吸い込んだcreepsのニュー・アルバム『GIRLFRIEND, NEW WAVE, WEEKEND.』が遂に完成した。かつてないほどワイドなレンジでポップネスの枠を拡張した本作は、80sの音楽が持つある種の両義性を基盤としながら、さらにカメラの視点を引けば、60年代から00年代までメンバーが大切にする個々の音楽ルーツのエッセンスが盛り込まれたバンド史上最もポップな装いの一枚となった。

 それだけではない。バンドをめぐる数々のドラマチックなストーリーが、避けがたく作品性にも深く影響した。第一に、1996年結成のcreepsにとって活動期間の半分を共にしたドラマー、小田島哲雄が脱退したこと。第二に、バンドとは特別な関係性にある山口洋(HEATWAVE)の新作プロデュースが頓挫し、結果的にはセルフ・プロデュースによる独立独歩を選んだこと。第三に、creeps唯一のオリジナルメンバーとしてバンドの「声」とメインコンポーザーを担う竹内晃が、人前で初めてのバンド演奏をした高校時代、そのバックでドラマーを務め、のちにsyrup16gを結成する高校のクラスメイト=中畑大樹の全面的なサポートを得たこと。そして、青森県弘前市を拠点とするcreepsが一貫してこだわり続けるローカルのコミュニティとのさまざまな関り。つまり、前作『AFTER LIGHTS』から12年ぶり、結成30周年の節目に放たれた本作は、表面的な一次情報ばかりにアテンションを奪われがちなこの時代において、すこぶるキャッチーな聴き心地とは裏腹にかくも豊かなコンテクストが錯綜する〝コンテクスト受難の時代に抗う名盤〟に仕上がった。その複層的な魅力のベールを一枚ずつ丁寧に剥がして読み解いていくべく、腰を据えてメンバーの3人に話を訊いた。12年分の濃密な時間を、ストーリーとサウンドの二部構成でお届けする。


behind the story
~ いくつかの別れと再会、停滞と葛藤の果てに見えた〝再生〟のストーリー

 2024年9月8日、弘前市のライブハウス「KEEP THE BEAT」で「タテタカコ音楽生活20周年記念ライブ」のサポートアクトとしてステージに立った4人編成のcreepsは、キャリアハイとも呼べる一体感に溢れたパフォーマンスを展開していた。ジョン・ボーナムやリッチー・ヘイワード譲りの太く粘っこいビートを追求し続けてきた小田島のサウンドはキャリアを通して常に強い存在感を放っていたが、16年の活動の締めくくりとして臨んだこの夜には、またこれまでとは違った軽やかな味わいがあった。4人の中で最も鋭敏なミュージシャンシップを持つ成田翔一(ベース)は、その〝奇跡〟を「4人のアンサンブルが、最後の最後で完璧に調和したような見事なバランスだった」と振り返る。しかし、この奇跡的な大団円に至るまでの道筋には、一言では語り尽くせない困難の連続があった―――。

 『AFTER LIGHTS』のリリースから2年。creepsは、結果的には2016年2月にリリースされることになる地元のサッカークラブ「ブランデュー弘前FC」の公式サポートソング〝thinking of you〟のレコーディングに臨んでいた。この時の様子を捉えた1枚の写真がある。手前に写るのは、イージーチェアに腰掛け、足を組み険しい表情でモニタリングチェックする成田。

レコーディング時の様子

 「翔一の表情が全てを物語ってるけど、この辺りからバンドの雰囲気が停滞してた。翔一は前に進みたいけど、自分は仕事を変えて忙しくて。結局はのちのち小田島さんの脱退につながるちょっとしたすれ違いの始まりだった」と竹内が回想する。creepsなりのナチュラルでニュートラルなアプローチが、4人編成のアンサンブルとして一つの到達点に達した『AFTER LIGHTS』の後、成田の中にはバンドとしての進化を求める強い信念があった。その思いがフラストレーションにつながっていったのには、音楽的に明確な理由がある。「晃さんの曲はコードもシンプルなものが多いので、どこで変化を付けるのかアレンジにいつも悩む。アレンジはドラムとベースが呼応しなければ進んでいかない。小田島さんの8ビートは本当に凄くて、ノってきた時の3点(スネア、ハイハット、キック)は誰も敵わない。一方で得意なテンポと曲の雰囲気から離れると対応が難しい場面もあって、どうしても曲がワンパターンに陥りがち。そこに悩み始めて」。解決されないままの齟齬がやがて致命的な亀裂に発展する前に、バンドが事前策として決断したのは同年11月のライブをもっての活動休止だった。

 しかし、ここで不幸が重なる。竹内の実弟の早過ぎる死だった。「活動休止の直前はライブをやっても毎回進歩がない状態で、だったら一回活動をストップするかと。結構限界だなとも思って休止を決めたら、弟が亡くなってしまって」(竹内)。職場での激務も重なりソロでの音楽活動すらままならなくなっていた竹内にとって、これらの出来事は「仕事と音楽」、つまり自身の人生を問い直す深い時間帯にいることを意味していた。一方、このどん底とも言える闇の中で、creepsの行く先を案じ、そっと活動再開を後押ししてくれた人物もいた。ミュージシャンズ・ミュージシャンとして心あるアーティストたちからリスペクトを集めるHEATWAVEの山口洋の存在だ。山口とcreepsや弘前音楽シーンとの縁は古く、creepsがメンターと慕うローカルシーンのボス、齋藤浩(地元レコードショップ「JOY-POPS」や文化的なハブ「Asylum」のオーナー)と山口の絆に始まり、ここには書ききれない数多の物語がある。本稿に関係するエピソードとしては、山口が〝弟分〟と可愛がる成田と2017年2月、それぞれが音楽的なルーツを探求する中で多大な影響を受けたアイルランドへ1週間の二人旅を挙行したこと。道中で「竹内の音楽活動再開を待っている」と成田の胸中を聞いた山口は、わざわざ弘前にある竹内の職場を訪れ、そのメッセージを伝えた。「山口さんは弟が亡くなったのも知ってくれてた上で『早くやれよ』って激励してくれて」(竹内)。後から振り返れば、この一言が竹内がソロでの音楽活動を再開させるきっかけの一つとなり、その延長線上に起きたもう一つの出来事が小田島を一時的にバンドへ引き留めることにもなった。「ソロ活動再開後の一番のエピソードは、ある街のイベントでライブをやった時に小田島さんが号泣しながら話しかけてくれて。あれは今でも思い出すと感動する。自分はそのことがどうしても(小田島が脱退する)最後まで残ってた」(竹内)。

creepsライブ写真 ※撮影_小田切翔太

 山口が今作にもたらした影響はまだある。2014年の『AFTER LIGHTS』リリース後、弘前との縁を年々深めていた山口がcreepsの来るべき次作をプロデュースする話が自然と動き出していた。それはバンドの活動休止期間を挟んで尚、勢いを加速した。コロナ禍に入った頃、竹内は山口へ送るためのデモ音源を制作。この中には「今回のアルバムに収録された曲はほとんど入ってる。むしろ十数曲あって、入りきらなかった曲もそこそこあった」(竹内)。つまり、まだ形を成さない『GIRLFRIEND, NEW WAVE, WEEKEND.』の原型がこの時すでに生まれていたのだ。少しずつ歩みを進めていたように見えたcreepsだったが、活動休止の直接的な要因だった音楽的な進化をめぐる課題は宙吊りのままでもあった。活動休止前から成田が抱え続けた葛藤は日ごとに膨らみ続け、ついにはここで、脱退の決意を固めるまでに至ってしまう。「スタジオの雰囲気も煮詰まってきて、このままいくならバンドを抜けようと思ってた。そしたら晃さんが勘付いて、ある日自分の店(弘前市のRobbin’s Nest)にふらっと来て。『辞めようと思ってるでしょ?』って。『バンドがこのままなら自分は抜けます』とその時やっと話せた。そこからみんなで話し合いをすることなって、いろいろあったことで小田島さんが抜けるのを決意したのはあったと思う」(成田)。こうして幾度もの話し合いを経た2024年7月、バンドは小田島の脱退を正式にアナウンスし、冒頭の「KEEP THE BEAT」での最後の、そして奇跡の一夜へと話は戻る。バンドが抱えていた音楽的な葛藤に理解は示しつつも、山口は「独特のグルーヴと4人の個性が嚙み合った時にロックンロールの奇跡は絶対に起こる、マジックが起きると信じてくれてた」(竹内)と小田島への信頼を語り、その喪失を悔やんだという。振り出しではなくマイナスからのスタート。そんな逆境からなんとか抜け出すための方策として、竹内は結果的にさらに重い決断を下すことになった。「2026年には結成30周年だし、このままだとダメだ、埒が明かないと思って。心機一転、何もかもやり方を変えようと。思い切ってニュー・アルバムをセルフ・プロデュースでやる決意をして、山口さんにめちゃくちゃ長いメールを出した。そしたら『分かった』と。『俺に気を遣う必要はないし、停滞するよりだったら進む方がいいから』と言ってくれて。本当に感謝しかない」。

 結果を先回りすれば、いくら停滞感を打破するための〝奇策〟だったとはいえ、この決断がなければ今作の方向性はまったく違うものになっていた可能性がある。つまり、別れは無駄にはならなかった。小田島、山口とcreepsは現在も良好な関係にあり、本作のスペシャル・サンクス欄にそれぞれの名前がクレジットされている。

 解話休題。creepsにはまだ越えなければいけない大きな山が残されていた。バンドが目指す次の方向性を支えるドラムを誰に叩いてもらうのか。正式メンバーとはいわず、アルバムのレコーディングだけでも参加してもらえるサポート・メンバーを探す必要があった。小田島の脱退が決定してからというもの、バンドは、成田とザ・ビートルズのカヴァー・バンド=Quarry麺を組み、creepsのライヴ・サポートも務めていた葛西光明(not for sure、6dB)や、元メンバーの工藤ケンイチとスタジオ入りしてセッションを重ねた。音楽的な調整や仕事との兼ね合いによる時間的な制約に阻まれ決定打には至らなかったものの、この時、竹内のイメージの中にはある男の姿が浮かびつつあった。高校1年生の教室では竹内の前の席に座っていた古くからの友人であり、その年、生まれて初めてのバンド演奏でギターを抱えた竹内少年のバックでドラムセットを預かっていた同級生。syrup16gのドラマー、中畑大樹(VOLA & THE ORIENTAL MACHINE、peridotsなど)である。「小田島さんが抜けた時点で、自分の頭の中に大樹の存在はあった。ただ向こうもプロだし、やってもらえるのかなという不安はあって。その頃、まだ山口さんとレコーディングする話が続いてたけど、その話が一段落してから大樹に連絡したら大樹は即OK。『やりたい』と言ってくれた」(竹内)。syrup16gを「憧れ。青春のバンド」とする成田は「(快諾に)痺れました」と驚きを隠さない。ここから話はとんとん拍子に進んでいく。

 「『はじめまして』でいきなりレコーディングするのはちょっと無理かなと思って」(成田)、ギタリストの笠井亮平も入れたcreepsの3人は2025年12月、挨拶がてら東京へ中畑を訪ねようと計画。ところが「大樹が『せっかく来るならスタジオ入る?』」(竹内)と中畑の方から提案があり、これに応えようとcreeps側も事前に新作の収録予定曲のデモを送ったところ「音源からドラムのパートだけを抜いて自分が叩いたデータを送ってきて。それが何も言いようがないくらい完璧だった」(竹内)。レスポンスの早さや技術力だけが驚きではなかった。成田が脱退を考えるまで悩みぬいた難題への鮮やかな解答が、そこにはあった。「大樹さんはけっこうアレンジもしてくれて。ブレイクがなかったところにブレイクを入れたり、尺を伸ばしてくれたり、サビをもう一回し増やしてくれたり。自分も今回、レコーディングに向けてめちゃくちゃ準備をしたけど、大樹さんは特に言葉で言うわけじゃなく、急にアレンジを変えてくる。自分もそれに呼応したいと思ってベースのアレンジを変えたり、言葉無しで、プレイでキャッチボールできた。ドラマー発信のアレンジ変更というものが初めてだったから、プロの仕事ってこういうものかと」(成田)。この言葉を裏付けるように、本作はcreepsのディスコグラフィーで最も多彩なリズム・アレンジが施されたアルバムに仕上がったと言えるだろう。

スタジオセッションの様子 ※12月_都内のスタジオにて。

 こうして、ニュー・アルバム収録曲のアレンジを驚くべきスピードで完成させたバンドは、いよいよレコーディングに臨むことになる。スタジオおよびエンジニアは『AFTER LIGHTS』で暖かみのあるナチュラルな音像を組み立てたサウンドクリエイト(八戸市)の長根雄之。creepsの拠点とも言えるスタジオに、スネアとペダル、ドラムヘッドだけを持参して八戸に乗り込んだ中畑がいかに自然にバンドへ溶け込んだのか。竹内は「大樹の人柄なのか、翔一やリョウチン(笠井)もすんなりレコーディングに入れた。実際は二人とも緊張してたかもしれないけど、すごく自然な形でできた」とし、〝peridots派〟の笠井も「大樹さん自身がだいぶ寄り添ってくれた感じがした」とスタジオに流れていたリラックスしたムードを語る。中畑の存在が、悩み、疲弊していたバンドのムードに一気に火を着け、セッションを通してcreepsのクリエイティビティを刺激した。かつての同級生/バンド・メンバーとまるで小説のような再会を果たした竹内だが、今や日本のロック・シーンで確固たるポジションを築いた旧友に対し「高校の時から一緒。きっと頭の中はドラムのことが中心だから」と懐かしさとリスペクトを同時に向ける。実は高校卒業後、中畑はsyrup16gで、竹内はSNAIL RAMP率いるSCHOOL BUS RECORDSからのcreepsのデビューで全国区となり互いの存在は認識し合っていたが、この日まで本格的な交流をすることはなかったという。

 creepsと中畑のストーリーには、まだ〝この先〟がありそうな予感がある。竹内は「常に音楽と向き合ってる姿勢が今回のレコーディングでもすごく伝わってきた。お互いにリスペクトしているのは大きいんじゃないかな。このままツアーに出てもいいくらい」と希望を込めて未来について語った。